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沢マンさい銭箱
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高知市にある竹林寺のさい銭箱に沢田マンションの文字が!
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【2012/05/28 21:41 】 | 沢マンまめ知識 | コメント(0) | トラックバック(1) |
沢田マンションの歴史 1990-2000年代
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引き続き、90年代以降の沢マンを追ってみると・・・

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1989年
32号、小学校卒業式。上の写真は当時のもので、下の写真は2002年に再撮影したもの。当時はまだリフトもなく、テラスの植栽も設けられていない。スロープも右側からのぼるようになっていた。

1991年
作業用リフトが完成。重さ2トンまで大丈夫。軽自動車ものせることが可能といわれる。スピードは歩くよりも遅い。

1992年
1月6日5階沢田家全焼。でもほとんどくじけることなく再建にとりかかる。
悔やまれるのはこれ以前の沢マンに関する資料の焼失。

1994年
改修工事により各テラスの花壇が完成し、「陰翳礼讃」とでもいうべき美しいフォルムを持つ沢田マンションへ変貌。
また、この頃は「沢田民宿」を経営しており、以後98年まで営業を実施。
現在はウィークリーマンションという形で部屋貸が継続中。

1996年
沢田マンションを10階建てにするにあたっての建築確認更新書を提出。確認通知書を受け取り。

1998年
4階にプール設置の計画が持ち上がる。しかし、間もなく孫がバスを釣りたいという一言で25坪の釣り堀に変更。
9月24日には高知豪雨で一帯も冠水。地下室も水没し、油が付近の田園に流出する事故を起こした。
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2000年
83号室に西山氏が入室。近年の沢マンへの若手住人入居への礎をつくる(2002年退去)。

2002年
この年、沢マンブームの火付け役となった27号永野氏が入居(2005年退去)したほか、現18号(当時56号)のタケムラ、現11号(当時5-5号→91号)の11w、16(当時5号)などが入居。
6月には第一回沢田マンション祭りが開催され、140名もの客を招き入れる。
9月には「沢田マンション物語」が出版され、日本各地で注目を集めるが、発行同日建築指導が高知市より入る皮肉な出来事も。
10月30日からは高知市のギャラリーgraffitiにて「沢田マンション展」を開催し、11月には沢田マンション秋祭りを開催。人数限定の予約制で行なった沢マンツアーには130名以上の来客があった。

2003年
3月16日 沢田嘉農さん、逝去。
沢マン住人同士のコミュニティが最も活発だった時期で、夏は沖縄那覇の月光荘の雨柊さんや広島からあちょう氏(現住人)などが相次いで来マンし、連日盛大な飲み会が催されていた。

2005年
「高知遺産」で沢田マンションを紹介。

2006年
沢田マンション内にカフェがオープン(予定)。ART NPO TACOの事務所も設置される。
【2005/12/30 17:32 】 | 沢マンまめ知識 | コメント(0) | トラックバック(0) |
沢田マンションの歴史 1970-80年代
沢田マンションの歴史。まずは創建当初の80年代までを追ってみましょう。



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100所帯あるマンションを目指して沢田マンションの建設に着手。沢田嘉農・裕江夫妻は30トンあるブルドーザーと大型パワーシャベルを借り、地下6メートル以上まで掘り続けて岩盤に到達。その上に柱が建てられた。地震に弱そうとよく揶揄される沢マンだが、実は「岩着」した強固な建物なのだ(それゆえ地震で市内が揺れても沢マンでは地震を感知できないことが多い)
1期工事/敷地は現在の沢マンで最も西側にあたる。工期は71年~73年。

1972年
1階の6部屋が完成し、初入居者を迎える。
貯水タンクの水源が裕江さんの手によって掘削される(直径1m、深さ28mの井戸。地下駐車場西側の扉の奥にある)。

1973年
1期工事(50坪、4階建て24部屋)が竣工。
スーパーが開店し、以後5年間にわたり営業を続ける。営業時間は8~20時で、その後焼肉屋や鮮魚店等も開店した。
2期工事着工(140坪)。2期工事の骨組みが終わった段階で5階の自宅工事にも着手。
高知市内で初めての地下駐車場が完成する(高さ3m、広さ140坪、25台駐車)。

1974年
屋上に初めて土入れ(野菜畑とサツマイモ畑)。

1976年
1976_AZONO.gif

沢田マンションが建築を開始したのは昭和46年のことで、写真は起工から5年後の第二期工事までが終了した段階。
写真の通り当時の沢マン周辺一面には水田ばかりで、のどかな田園風景の中にそびえる沢田マンションは相当に「異質」な存在であったという。

1978年
バスを購入(48人乗り、165馬力の大型観光バス)

1982年
初めて発動機(13馬力)入手。沢マンの1Fに並べられた発動機はこれらのコレクション群。

1983年
3期工事着工(70坪)。3期工事は最も東側の区画で、2期工事との境界は約1mの高度差がある。
また、3期工事区画の地下には資材置き場を兼ねた発動機室が完成し、この北側には1986年に掘り初めて中断した横穴の洞窟がある(長さ約10m、高さ2m弱の横穴)。

1985年
3期工事竣工。着手から14年の歳月をかけて現在の沢田マンションの基本的な構造ができあがったことになる。
【2005/12/30 12:11 】 | 沢マンまめ知識 | コメント(0) | トラックバック(0) |
沢田マンションのあらまし
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沢田マンションは、「100世帯あるマンション」を目指して1971年から沢田嘉農・裕江夫妻によって建設が進められた「手作りマンション」。工事は西から三期にわけて行われ、1985年までに現在の骨格が竣工しました。
1990年代には次女と三女の娘婿、守也と稔恵を迎え、以後改修と小規模な増築を続けていきます。


沢マンが大きく変化したのは、今や市内有数の小売店舗街道となった県道北環状線の建設が本格化した90年代後半。
道路からの目隠しを兼ねて緑のテラスが南面全面に設けられ、鉄骨とコンクリートがむき出しの「武骨」な容姿から、深い庇が印象的な陰影の見事な「色気」ある容姿へと変貌しました。都築響一さんの「珍日本紀行」で写っている沢マンは、この過渡期の貴重な写真です。

また、沢田嘉農さん亡き後(2003年3月16日没)は、増築は行なわれていません。
創建当初の部屋の徹底的なリニューアル、スロープ等への耐震補強工事の実施、非常階段の設置など、改築/改装がメインとなっています。


【2005/12/28 14:35 】 | 沢マンまめ知識 | コメント(0) | トラックバック(0) |
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